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「めくら」「つんぼ」と言ってはいけない

「差別だ!」ということで、使える言葉がどんどん減っていくな、と感じている。
差別的表現だとして、漢字をひらがなにしたり、言い換えをしたり。

 

「障害者」を「障がい者」と表現すること自体に違和感を覚えるのは自分だけ?なんだろうか。
まずそもそも、漢字とひらがなを交ぜ書きすること自体に違和感を覚えるし、"害"という字が悪い意味を想像させると言われたところで、それでは残った"障"の字はどうなの?って話にもなる。

"障"の持つ意味。

「障」という漢字の意味(名前・名付けの意味)・成り立ち・読み方・画数

なぜ"障"という字を漢字で残したんだろう? なぜ「しょうがい者」にならなかったのだろう?と疑問に思う。

 

自分の子供のころ、当然のように周囲の大人は「めくら」だの「つんぼ」を使っていた。
それを差別用語だと認識をしていなかったのもあるだろうけども。
昭和生まれ、関西人でもなし、田舎者でもあるので、そこらへんはたぶん、都会に比べたら緩かったんだろう。

 

私の母親は障害者福祉施設で働いていた。福祉系の短大を卒業してから定年まで。
自分は片親だったので、小学校にあがる前から、親の仕事場に居させてもらうことも多々あったし、障害を持っている方の接点もたくさんあった。子供の頃から、障害者ってどういう人?っていう立場ではなかった。

ただ、学校でたまにやる「障害を持っている人は差別しちゃいけませんよー」っていう授業のときには、とても大きな違和感を感じていた(当時の自分にはそれを表現する能力はなかったけれど)。


母親やその同僚は、今で言う差別的表現を職場でも当然のように使っていたし、障害者の家族も同じくだった。
時期を明確に言い切れないけれども、90年代半ば以降になってようやく多少の言い換えをするようになった。
「別に自分たちはいいんだけど、上がね、」と。どうやら職場の上席に注意されるらしい。


言い換えが始まってしばらく経ってから、今度は身体拘束(暴れる障害者・高齢者をベッドに縛り付けること)ができなくなった。
身体拘束が禁止になってからというもの、腕や足の生傷が増え、仕事が終わったあとのストレスも増えていたようだった。
自分たちも他の利用者さんたちも危ないけど、拘束してはいけない規則だから、と。

 

話は脱線したけれども。
母親の言っていたことで、一つ印象に残ったことがある。

『足繁く見舞いにきたり、夏と冬にしっかり自宅外泊をしている家族は、そんな表現がどうのこうのみたいな事を言わない。こっちが呼ばないと来ないような家族に限って、そういう差別がどうこういう話をする。』


 

 

言葉の言い換えをしたところで、何になるというのだろう。
言い換えを推奨する=差別的意識を持っている、のではないの? と変に勘ぐってしまう。
言葉をかえただけで、人間の認識や意識がかわるわけもない。

 

言葉は生き物。時代によって変わり行くもの。
言葉には由来や成り立ちがあり、言葉がうまれるということは、言語として進化をするということ。

 

「障害者」という言葉が使われなくなり、「障がい者」という言葉がうまれた。
それは言語としての進化なんだろうか?

 

社会的弱者を守ることはとても大切だと思う。

ただ、差別的用語に関する言葉狩りをすることに関して、

「社会的弱者を守るため」ではなく「クレームや言い掛かりから組織や個人を守るため」

としか思えないときもあるな、と。